月だけを見ている。

ハンカチ拾います。

ロサンゼルスのこと。その3

2日間、アナハイムにあるディズニーランドに連れて行ってもらった。言わずと知れた元祖ディズニーです。その数年後に訪れたフロリダも同様ですが、アメリカのディズニーはあまり並ばない。そもそもアメリカ人は何かに並んで入るとか食べるという概念が薄いらしく、並んでまでアトラクションに乗るよりパーク内の音楽に合わせてその辺で体を揺らして踊るぜみたいな大人や子どもがたくさんいた。良すぎる。

f:id:nunnun1:20200313173036j:imageヤンキー座りミッキー

 

東京で大人気なダッフィーは当時のアメリカではまったく知名度がなかった。ただでさえ並ばないグリーティングに誰ひとり客が集まっておらず、キャストと遊び回ったりこれまた音楽に合わせて変な動きをしてるダッフィーを捕まえて写真撮って!と言ったら大喜びされて、10分くらい独占させてくれた。大好きになったからそのあとすぐにロサンゼルス限定のダッフィーのぬいぐるみを買ったけど、昨年末に困窮した時に売り飛ばしてしまった。私って本当になんなんですか?

f:id:nunnun1:20200313173132j:image本気で死を覚悟した年季の入った観覧車

 

帰国が近づくにつれて気持ちに陰りが帯び始めた。ここは一時的な避難所でしかない。どれだけ人の温もりに触れ未来に微かな光を見ても、根本的な問題解決にはならなかった。今の幸福な時間は有限で、時が過ぎればあの家に帰るしかないという事実が頭から離れなかった。

 

一度だけ、弱音を吐いた。悲痛な吐露の最後に、ずっとここにいたい、と言った。すると、奥さんが「ぬんちゃんはまだ20歳だよ、今はママの元で苦しい思いをしているね、ぬんちゃんは優しすぎるからパパやお姉ちゃんのようにママから離れられないね、だけど本当はこれからなんだって出来るんだよ、おばちゃんは若い時に婚約してたフランス人に式の直前で逃げられて、そのあと日本にいづらくなって建築の勉強をするためになんとなく中国の大学に通い始めたんだけど、ものすごく努力したのにそれを仕事にすることは出来なかった、そうして今度はアメリカに渡ってカフェでアルバイトしながら通訳をしていたら、15も年上のこの人に出会って結婚したの、それからずっと幸せ、この時のために今までの辛い瞬間を乗り越えてきたんだって思った、ぬんちゃんにも必ずそう思える景色が待ってる、本当に無理になったらまたロサンゼルスに帰ってきてディズニーランドで働けばいいよ、人を笑顔にする仕事に就く夢が叶うよ、やりたいならやれば良いし無理でもそれが終わりじゃないよ。」

 

言葉の有り難さを超えたエピソードの奇抜さに度肝を抜かれてしまったが、だけど、「この瞬間に出会うためだったんだ」と思える景色というものがもし本当に存在して、今までの不遇や不運をすべて許せる日が来るなら、せめてそれを見届けないことには現時点では産まれてきた意味が1つもないなと思った。おそらくこの時に初めて私は自分の人生は母でも誰のものでもなく、自分のものなんだと気付いた。だから今でも「物心がついたのは20歳の時です」と言ってる。本当にそうだと思う。

 

あれから6年が過ぎた。あの日々から今に至るまで、もうこれ以上酷いことはないだろってことを平気で超える地獄のような場面に幾度となく出くわしてきた。いとも簡単に最悪を更新してくれるな。それでも、絶望の時も気まぐれに好転したと見える時も、いつでもじんわりと心の奥の方で20歳の時に浴びた強い光がぼんやりと灯り続けている。あの経験がなければ今ここに私はいなかったかもしれない。間違いなく、今の私を形成した1ヶ月だった。

 

f:id:nunnun1:20200313222754j:image