月だけを見ている。

ハンカチ拾います。

ロサンゼルスのこと。その1

今の自分を形成した出来事は何かと聞かれたら、20歳の時に行ったロサンゼルスのことを話すと思う。あの頃の私は人と話すことも外に出ることも自分の感情を表に出すこともすべてが苦手だった。基本的に本ばかり読んでたまに好きなアイドルのコンサートに行ったり、週に一度くらいの頻度で恋人と会うだけで、学生でも社会人でもニートでもない「アルバイトに勤しみながら大学受験を控えた浪人生」だった。センター試験が本格的に近づいてきた9月、私は姉と共にロサンゼルスに住んでいるアメリカ人の旦那さんと日本人の奥さんの家にお世話になることになった。参ってしまっていた私を姉がその元凶となっているものから遠ざけるために連れ出してくれた。

 

関西空港からシアトル経由でロサンゼルスに行く予定が、飛行機が大幅に遅れ関空でひたすら時間を潰すことになった。姉のiPadONE PIECEを1巻から読み返していたらスルスルと時間が過ぎた。やっと機内に案内されてからまた1時間ほど待たされ、満を辞して離陸したわけだけど、遅くなったお詫びに乗客全員に豆菓子を配ってくれた。アメリカの会社なのに遅延のお詫びが豆菓子?

 

今よりもさらに神経質だった私は飛行機の中で眠れるはずもなく、たくさん映画を見た。『塔の上のラプンツェル』、『プラダを着た悪魔』、『マイ・インターン』、『カーズ』(1も2も見た)。この映画の映像や音楽は今も私をあっという間にロサンゼルスで過ごした日々に引き戻してくれる。映画に疲れたら機内誌を読んだり、持ってきた本を読んだ。機内食のメロンとパイナップルが美味しかった。私と性格が正反対の姉はトイレでロングスカートの下にメディキュットをはいてビーチサンダルに履き替え、私がラプンツェルのお母様と自分の母親を重ねて苦い気持ちを飲み込んでる間にリクライニングをぐいーんと倒しグゥグゥ眠っていた。11時間ほどでシアトルに到着。シアトルの気温は低く、天気は大荒れだった。

 

シアトルまでの飛行機が遅れたため、もちろんロサンゼルス行きの飛行機も別便にしなければいけなくなったのだが、それに関しては私たちが飛行機に乗ってる間にご夫婦がお茶の子さいさいと手続きを終えてくれていた。さて飛行機の時間まで何しようか?となった時に私が11時間の空の旅を終え地に足がついた安心感で空港の椅子で丸くなって爆睡すること1時間。50時間寝た時くらい深い眠りだった。その時点ですでに私はアメリカという土地にすべてを委ねていたんだと思う。

 

ラウンジに行くより空港を歩こうとなって見つけたスターバックスコーヒーの文字に胸が躍った。シアトルといえばスターバックススターバックスといえばシアトル。旅先で見かけるあの看板の安心感は異常なので二人で飛び込んだ。絵の具の筆でも洗いましたか?と聞きそうになる色の液体にホイップクリームがドーーーン、その上に夢の中のメリーゴーランドみたいな色とりどりのトッピングが乗ったものを姉と半分こした。ハロウィン限定のドリンクだった。現実とは思えない夢みたいな甘さだった。

 

さて、飛行機の時間になったのでゾロゾロと列に並び、機内へ。アメリカの国内線の小型化だったので3列 通路 3列のような狭い機体で、乗ってる人はほとんど外国人だったんだけど私のとなりの席の人が180cmあるバランスボールのような髭面のアメリカ人だった。私と姉がiPadでオセロをしていたら、ものすごくやさしい英語で「パパとママは?二人できたの?えらいね」と言ってくれた。スチュワーデスさんが通るたびにコーラを頼んで一気飲みしたり、前の席の金髪美女をナンパしたりと好き放題だった。アメリカおもろ〜となったのはこれが始まりだったと思う。

 

オセロにもちょうど飽きた頃に約17時間遅れでロサンゼルス空港に着いた。現地時間は深夜の3時を回ったところだった。普段規則正しい生活をしているご夫婦が私たちより時差ボケみたいな顔をして出迎えてくれた。私を見て大喜びした旦那さんが子猫を持ち上げるように思い切り抱きしめてくれた。そこから1ヶ月に及ぶロサンゼルス生活が始まる。